医療技術学科 堀 純也 教授
~3つめの転機:運命のいたずらで決まった就職先~
4年の学部生生活を無事に終え,高等学校の教員免許状も取得できた。
そこで高校の先生を目指すという進路も考えたのだが,さらに専修免許を取るために修士課程に進んだ。
4年生の頃は先輩の実験のお手伝いが主であったが,
修士課程に進むと,まだ誰も作ったことのない組成の高温超伝導体作りを進めながら,
作った物質に超高圧(8 GPa ≒ 8万気圧)を加えて電気の流れ方がどう変わるかという実験を行った。
実は,高校生の頃は化学が苦手だったので,物理,数学,英語で受験できる大学を選んだのだが,
気がついたら薬品を混ぜて物質を作るということが研究テーマになっていた。
ちなみに8万気圧もの圧力を加えるためには,
米粒よりも小さい試料に髪の毛よりも細い金線で電極を手作業で付けるという職人的な技術も必要だった。
修士過程を終えたら卒業して先生になるつもりでいたのだが,
実験が面白くなり,結局,博士課程に進むことになった。
博士課程に進むのは良いが,一点問題があった。
私が博士課程2年を終える年に指導教授(ボス)が定年退職の年を迎えることになっていたのである。
そこで,出たボスの一言は,「2年で終える気はあるか?」であった。
ここまで来たら,返事は「はい」か「Yes」か「喜んで」であった。
そこから実験三昧の日々である。
当時の准教授(あの頃は助教授という役職名だった)に「働きすぎ」という科学随想の記事*1を
そっと机の上に置かれたのが懐かしい(ちなみにその随想のコピーは,現在も私の研究室に貼ってある)。

研究室では,米粒より小さなサンプルに髪の毛よりも細い金線を手作業で付ける作業に没頭
アパートにはお風呂に入りに帰るだけといった怒濤の日々を過ごし,
何とか2年で博士を取得したわけだが,今度は就職難である。
博士論文の審査の開始が遅くなってしまったので,
博士取得が確定したのが博士課程2年目の終わりの3月末。
そんな人に就職先がポンッと沸いてくるわけもなく,困っていた。
ボスにも外国の研究院くらいしかないなぁ。。。と言われていたのだが,
幸い,博士論文審査の副指導教官であった教授がポスドク研究員を募集していたので,拾ってもらえることになった。
その研究員の面接が終わった日の事である。
某国立大にいた研究室の先輩から電話があり,
私が博士課程でやっていた研究内容に近い分野でポスドク研究員の話があると言うではないか。
小心者の自分は,その日に決まったポスドク研究員の話を蹴るわけにもいかず,
先輩からの申し出は丁重にお断りすることとなった。
これも数日話が早く来ていたら私はそちらに行っていただろう。これが3つめの転機だった。
[1] 近角聡信,科学随想「働きすぎ」,固体物理,Vol.23, No.1, p.68-69(1988).

