理大の栞理大50周年



その24[半田山のドン]  解説

 

岡山市の半田山の午砲台は、明治から昭和初期(1909〜1929年)にかけて、岡山の人たちに正午を知らせた号砲のことです。明治維新の近代的統一国家の枠組みづくりで、時の管理をするため、新政府が「午砲の制」を制定(1871年)し、大砲で正午を知らることにしました。全国各地に午砲が設置され、半田山には、第17師団により1908年に設置され、1909年1月から岡山山砲隊がその運用にあたりました。その後、1922年に軍縮で午砲の廃止を決め、一旦「ドン」は消えたのですが、岡山市が引き継ぎ、1929年3月に、岡山市が財政難のため報時業務を断念するまで続けられたとのことです。

『ドン』と、正午の時を告げ、その音をとって「半田山のドン」、半田山のことを「ドン山」などと呼ばれていたといいます。岡山理科大学附属高等学校の「ニュース&トピックス」のページには、当時の写真が掲載されています。

こういった岡山市の消えゆく史跡に目を向け、可能であれば、復元しようという動きが、岡山理科大学附属高等学校の機械科から出てきました。課題研究の一環としてスタートしたものの、本格的な史跡復元になるため、関係各署に相談。その一つ、「正確に復元するために正式な発掘調査をしたい」との声に、岡山理科大学総合情報学部生物地球システム学科人類学研究室の教授らが応え、発掘調査が2009年8月5日から共同で開始されました。午砲の台車がおかれていた石列や周囲を囲む石柱列などが出土。秋の日差しのなか、復元のための計測作業が続けられました。写真は、大砲の台車がおかれていた2列の石組。亀田教授(専門:考古学)率いる学生たちが猛暑のなか汗だくになりながら作業を続けていました。でも、学生からは、「楽しいですよ」の声が!

これに並行して、附属高等学校の機械科では、大砲の復元作業が進行。そして、ついに、アルミ鋳造、リベット接合の「半田山のドン」のレプリカが完成しました。

お披露目式は、2009年12月4日(金)、岡山市内を見下ろす半田山の南斜面の遺構に、附属高等学校機械科の生徒たちの手により、見事に復元されました。

このプロジェクトの詳しい報告は、半田山午砲台復元プロジェクト(PDFファイル1.23M)にまとめられています。どうぞ、ご覧ください。

 

ページTOP

岡山理科大学 kouhou(atmark)ous.ac.jp 086-256-8412
Copyright (C) Okayama University of Science.